そのうち日記

ありきたりなことを書く

凡人の筆【地元の愚痴】

こないだ地元とかそこらへんに帰ってたが、しばらく頭とか腹のあたりがモヤモヤして仕方ない。

宮城県の防潮堤とか護岸工事、できるの心待ちにしてるやつもいるのだろうか。

ここから先は「えぇ〜もう震災とかオワコンでクソダサっしょ。時代は東京オリンピックでフォトジェニックでインスタ映え☆」って人は読まずに前を向いて生きてってください。

ただただ長くて乱雑なボヤキです。

 

 

 

地元は震災後、わかりやすく言うと限界集落である。

震災前に市町村合併されたはしっこ。

昔から「まぁ主要ではないからな」とは思って公共交通機関絶たれたりとかしてもいろいろ諦めてはきたが、とうとう今は「死ね」って言われてる気がする。

しかも原発の○○km圏内であるにもかかわらず、「もしも」があれば街全体が死ぬが、これと言った恩恵はない。

今でも福一のせいでそれなりに迷惑被ってるけどね。

なんで東京の電気を関係ない土地で作らなきゃないんだか…ってのに対抗するように、電力会社が選べるようになったのか?

本当のところは知らないけど。

福島はとにかくかわいそうで涙でるなぁ。

東電の人も、東電使ってた人も、福島の食べ物避けたりとか…。

東電批判する人たちの気持ちもわかるけど、じゃあ東京に原発たてて安全かどうか常に確認できるようにしたら?ってのは使う人たちも嫌なんだよね。

まぁ人多いところに建てることになるからそりゃそうだけど、どこでも嫌だよ。

金のない市町村はまぁ仕方ないか〜って建てちゃう。

反対運動も虚しく、すぐ隣の街が潤うために原発が建てられてしまった可哀想な土地が私の地元。

隣の街や、他市町村ではあるが圏内である所は、震災後にすぐに医療機関ができたりした。

同じくらい過疎が進んでいても、あちらは金が出るから割と厚遇に見えた。

 

仙台では震災の年の夏には道路がピカピカになったけど、私の地元はまだぐちゃぐちゃなところもある。

海との境目を土嚢で間に合わせてるところもある。

人が少ないからね。仙台と比べると仕方ないね。

 

地元の防潮堤、必要なのかな。

海からずーっと平野が広がるようなところは、確かに避難時間伸ばせたり、衝撃を緩和したりする効果はあると思う。

膨大な土地を嵩上げするよりはメリットが大きいと思う。

でもさぁ、海と平地部分の境目をまっすぐ走る道路沿いを徒歩で歩いて5分かからないような土地なら嵩上げでいいと思う。

後ろ山で、前は海。平地なんて野球場ほどもないと思う。

高台までの避難なんて歩いて2〜3分だし。

山を削って高台移転までした(これは必要だとは思う)

なのにさらに道路のキワキワに9mの防潮堤って圧迫感ハンパない。

聞きました?奥さん。9m級ですってよ。

進撃の巨人か。

しかも嵩上げもするんだってさ。

まちづくりとかいうけど、県とかなんとかにゴリ押されて、なにもかも失敗したように思える。

それぞれの街の事情とか特徴、あんまり勘案されてないと思う。

三陸とか女川は、嵩上げする代わりに防潮堤少し下げたらしいけど、こっちの要望は無視されちゃった。

観光名所にもならないし、電車も三陸道も通らないし、他の地域になんのメリットもないし、人少ないから。

「あぁ、あそこテキトーでいいよ。テキトーにドーンと建てときゃ大丈夫だろ。何もいねえし。」ってノリで決まったと思う。

 

防潮堤がたつと、まず海が見えない。

アホっぽいかもしれないけど、海は見たい。

景観悪くなりすぎ。

富士山が見えるマンションの前に、さらに大きなマンションが建つ感じ。

別に手前が動けば見られるんだけど、付加価値ってものがあるじゃない。

ただでさえ限界集落だ。

あと、無駄な護岸工事。

松島の無人島に護岸工事とかの話聞いたけど、パッと聞いただけでは「何やってんの」って思う。

ゼネコンの皆さん、潤ってるようですね〜

 

子供の頃の記憶なんかでは幼稚だと思うけど、海は遊び場だった。

震災前に漁業関係の埋立地になったところでは、シーグラスがとれたから埋立てられた時は少し悲しかった。

埋立地では漁師が仕事しやすくなったし、子供も野球して遊んでた。

防潮堤も護岸工事も後々そういう風になるんだろうか。

それとも1000年に一度「あってよかった」と思うために、999年間は圧迫感を感じるのだろうか。

磯ではウミウシとかフジツボとかヒトデとか弄って遊んでた。

今では全部コンクリでペッタリと埋められた場所もある。

ウニもアワビも取れるはずだったけど。

まぁ、内陸のヤクザの下っ端が密漁よくしてるけど。

工事関係もヤクザ絡みが多かったりすることを考えると、副収入にもなりますね。

まぁこれは事実無根で、私の下衆な勘ぐりだよ。

漁師からすれば密漁とは…を例えると「給料袋に他人が手を突っ込んでる」感じ。

 

まずあの黒い県知事、他県の奴だし。

宮城県民ながら情けない。

何が大切か、に「住民の命」を掲げてれば生活は壊されても良いと思ってるのかな。

悔しいけど、住んでる人たちの意見は無視してゴリ押ししたんだから、私がここで愚痴ったところでどうなるわけでもないけど。

憎くて憎くて仕方ない。

掲示板でこういうことを愚痴ってみたら「でも国は対策を一刻も早く取らないといけないから、建てられても仕方ない」と思う人もいるみたい。

対策って、津波に関してはもう遅いわ。

なんか「喧嘩に負けたので少林寺拳法習い始めました」みたいなダサさを感じる。

高台移転と避難経路や避難場所の確保とか、恒常的に使えるものなら必要だと思う。

「万が一のため」の要らないものが鎮座するのはこれいかに。

「この間初めて腹パンされてカツアゲされたので、腹にジャンプ仕込んで暮らしてます」って感じ。

 

身近な人も死んだし家も流されたよ。

海が好きか嫌いかではなく、代々海に食わせてもらってきた。

うちでは津波があってどうなろうと、割と「仕方なかった」っていう価値観である。

昔の家が恋しいけど、仕方ない。

地球の上にへばりついて生きてる生物である自覚があるから。

平地に敵が居たら、木の上の高いところに逃げるしかない。

人間だってそういうもんだよ。

 

津波があっても家は残った人、家はないが漁業で食べてきた人くらいしか街に残らなかった。

他の人はどんどん便利な土地へ移った。

そんなもんだよ。

コンビニまで車で1時間、徒歩だと6時間。

救急車なら、ぶっ飛ばしても40分以上はかかるんじゃないかな。

そとから移る人もいるけど、理由はよくわからない。

土地もあるし他人に迷惑そんなにかからないレベルなら、やりたいことがあるならやってみればいいと思う。

ただでさえ震災で死んだような土地に、さらに追い討ち。

防潮堤はオーバーキルですよ。

 

必要以上に手を加える「度を超えた」行為に違和感があるんだと思う。

国とか県がやってる金も土地も無駄にしてる行為は「仕方ない」とは思わないよ。

あの事業にナンボかかってるか知ってる?

もっと他のことに使えるんじゃないの。

いろんな人からの支援とか含めてなんとか持ち直してきたけど、さすがに自分らも反対してることをされて「どんくらい金喰うんだよ被災地」とか思われたらたまったもんじゃねぇ。

あの金があればいろんな土地もいくらか潤ったはずだと思うと、馬鹿なお上の決めたことだけど、なんか申し訳ない気もする。

 

だからと言って、みんながみんな自然災害で死んでも仕方ないと思えるわけもない。

他地方での様々な災害被害を聞いてると、命はもちろん、慣れ親しんだ景観や家が失われる痛みがよくわかる。

しかし災害や事故は防ぎようもない。

普段から気を張って、自分が生きるための最善の方法を考えているだろうか。

過去何回も来た津波は、私の家の門の前までしか来なかったが、今回は屋根を超えた。

100年以上建ってた家も、地震には幾度となく耐えたが、津波は無理だった。

「まさかそんなでけーの来るわけねーだろ」で、来ちゃった。

過去に流された土地は、高台に移ることで被害を免れていた。

 

「誰かがなんとかしてくれる」と思ってると死ぬ。

こないだ交通量の多いバイパス沿いの歩道を、3歳くらいの幼い子供が走り回ってたが、親はスマホに夢中で手も目も離してるのを見た。

「車が止まってくれる」「近くの人が見ててくれる」「子供が道路に出るわけない」と思ってるのだろうか。

一番の責任は親にあるんだけど、いざ轢かれたりすると車が有責になったりして、こりゃ酷い世の中だよな。

ストレートに言うと親の行為は子供に死ねって言ってるのと同じだよ。

てーか歩きながら何か見れる人らが理解できない。

怖くない?

 

津波で死んだ人の自己責任だなんて思わない。

都合のいい言葉だけど「運命だ」って思う。

どんなに良い人でも、若くして急に死んだりするところを見てると、避けようもないことがあるんだってわかる。

避けようがあったことを知っても、後の祭りなのだ。

なるべくそんなことがないように、自分の身は自分で守るべきだし、自己責任って言葉を忘れちゃダメだと思う。

危ないのは公園の遊具じゃなくて、無茶な遊び方をする子供、何が無茶か経験してないことと、ちゃんと見てない親の自業自得なのに。

小さな怪我から大きな怪我を学ぶ機会ってあったと思うんだよなぁ。

最近、なんでみんなわけわかんないところに責任求めてんだろうって思う。

まぁブーメランな発言でもあるだろうけど、悪い方向に負けず嫌いだよね。

マンナンライフとかは「自業自得だろ」くらい言っても良いと思う。

お客様至上主義もどうかと思うなぁ。

 

今日まで生きてるのも運が良かったと思える。

みんながみんな健康で幸せな世の中は理想ではあるけれど、事あるごとに死を意識する。

海の仕事をしていると、たまにどざえもんがいたりする。

水死体だ。

親から「今日は浜に降りるなよ」と言われた。

一体何があって、海で死んだんだろう。

幼い頃から死は身近で、海は恐ろしかった。

長年海の仕事で生きてきた人も、海で死んだりする。

誰かが見てるところで遊んで、小さい子と遊ぶときは大きい子が絶対見てた。

まぁ狭い土地だし外で働く人が多いからその辺は楽だった。

そんなところで生きてきて、これからも生活していくのである。

 

いろいろと防潮堤に理由はあるんだろうけど、あんなの要らないって言われながらどんどん建てられてる。

道を綺麗にしてくれたり、家を建ててくれる土木関係者とか大工さんには感謝してるけど、無駄な工事を決める上は恨むよ。

 

普段、「絆?はぁ…(ハナホジ)」なひねくれた態度な私だけど、もうどうすれば良い、というかどうしようもなくて書きました。

他所の人とかに「あぁまた始まったわ震災の話」とか思われるの嫌で、普段自分から全く話さない。

というか、震災自体も、しばらく変わらないグチャグチャの道路も、「日常の一部」であって「あぁそんなこともあったね」っていう麻痺状態なのかもしれない。

海に浮かぶ自分ちの屋根を見たときも「あらら〜」ってくらいのリアクションで、親に「もっとなんかないの」って言われた。

震災前の街とか家とか難なく思い出せるし、まだ受け入れられてないのかもしれない。

絆とか馬鹿みたいに持ち上げるメディアが嫌い。

助けていただいたことは忘れないよ。

でも現実は、今もたまに遊びに来てくれる人とかはただ単に「釣りしにきたついでに寄った」って感じで、震災の話なんてこれっぽっちもしないし、そんなテンションで良いと思う。

被災者のあまり関係ないところで結ばれた職業同士のプラスになるような縁とか見てると、「あの時期はさぞかし辛かっただろうけど、その後も続く縁ができてよかった」と思うところもあった。

思い出に縋るのは自分の中と昔から知ってる仲間内だけで、無駄に感傷的になったり外に出すことはない。

お年寄りになるとそういうの話したいみたいで軽い戦争の話とかはよく聞くけど、私もそうなるのかもしれない。

 

第三者の目からみればおかしいこともたくさんあるだろう。

政治も宗教もよくわからん。

誰が言ってることが信じられるのかもうわからないので、好き勝手書いてます。

18年しか住んでないし、そのあと他の土地に暮らしてる私には発言権はないのかな。

無くなった街並みの代わりに、あまり変わらない海とか山の様子が唯一の故郷の面影だったけど、それも無くなってきたのが寂しいだけかもしれない。

「復興」した故郷を故郷と思えるだろうか。

くそったれめ