そのうち日記

ありきたりなことを書く

仕事の話【気仙大工から学ぶ】

晴天の中、岩手県陸前高田市の気仙大工伝承館へ行ってまいりました。

個人的にですが、行って良かった!と強く思いました。

 

気仙大工左官伝承館
〒029-2207 岩手県陸前高田市小友町茗荷1−237
0192-56-2911
https://goo.gl/maps/Kze1ETXDYJNywo9i7

 

なぜ、ここに行こうとしたのか?という話から。

地元町内の友達の実家が新しく建ったんですけど、立派な家で、特に神棚は大きく荘厳。

友達の両親にお話を聞くところによると「三陸地方は昔から、気仙大工という腕のいい大工がいて、特に沿岸地域では神棚が立派という伝統があり、残すべく作った」そうで。

この友達の両親もすごいなぁ…すごいんです。

 

津波で流れたけれど、私の実家の神棚は一族の(ほぼ)唯一の誇りだったと思う。

親に聞くと「うちも家から神棚から全部気仙大工だったよぉ〜」とのこと。

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↑辛うじて親戚が写真におさめていた実家の神棚

今はこれしかないんだよね。宝物です。

当時はウチめっちゃ古いよ〜なんて言ってましたけど、絵画教室で年末の神棚掃除を書いたり、自己紹介で取り上げたり、とにかく子ども心に自慢でなりませんでした。

震災当時は心配するにしても、「家族はまぁ大丈夫だろう!それよりもあの家…」って感じでした。

みんな無事だった今だからこそ軽く言えるけど、私って薄情だなぁ…。

 

向かって左側の壁に一つ、あと左手前側に離れてもう一つ神棚がありました。

囲炉裡があって、立派な梁があって、欄間などの細工も経年劣化はあれど、昔の人がよく作ったなぁ〜と思うような精密さ。

宮大工のように、釘などを使わず、組み木細工のように組み立てた家だったそう。

木材も樹齢100年は超えているものを使って作ったそう。

明治維新直後に建ったそうですが、度々襲い来る地震宮城県沖地震も耐えてきたって今思うと本当にすごい。津波には勝てなかったけどね。

 

 

なぜ?神棚がやたら立派だったのか?なぜ?気仙大工がそんなに技術が高かったのか?を知りたかったので行きました。

 

 

三陸碁石海岸ICを降りて、車で約20分。

広田半島へ入り、箱根山の急勾配の細い道をゆっくりゆっくり登っていくと伝承館があります。

広田半島も、箱根山も、遠くに切り立つ山々と青い海が見えて綺麗な所でした。

あと、4年くらい前にドライブしてて迷った所らへんな気がする…丘陵地帯で眺めが良かったのでよく覚えてます。

気仙沼を超えて唐桑半島以北は山が高くなりますね。とても好きな景色です。

近くに軽食の取れる所があり、お蕎麦が美味しいそうです。

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地元の方が案内役をしてくださいました。

とても丁寧に、親しみやすく、気仙大工の成り立ちや技術的な話に加え、家がいかに日本人の宗教観や精神性に影響を与えてきたのか教えてくださいました。

山の上に立てた理由も格というものを重きに置いたわけで、気仙大工の建造物へ対する誇りや尊敬の念がよく感じられました。

 

伝承館内にいたお客さんたちも気さくな方が多く、様々な話を聞かせてくださいました。

復興を気にかけてくれてる人、綺麗だから来た人…きっかけは様々ですが、やっぱり好きな土地ですので楽しんで癒されて帰ってもらえたら良いなぁと思いました。

あと伝承館の中は居心地が良かったです。住みたい。

遠く関東や関西からいらっしゃった方々もいて、私は陸前高田市の人じゃないけれど、三陸地方来てくれてありがとう!と思いました。

自分のことのように嬉しかったです。

 

 

宮大工や船大工としても活躍した気仙大工。

気仙地域よりも南の地域に出稼ぎに行っていた大工集団。

遠く関西地域まで、その手にかけた建造物があるそう。

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大工の中でも特になんでも作れたそうです。

そこで頭を使って、工夫したんだなぁ。

専門に作っている人が居ない地域では、それに勝る良い技術を持っていることを示さなければ、仕事ができないと見なされるので、とても厳しい世界だよなぁ。

 

使えば使うほど、その人の生活に馴染む。

ニスなど塗らずに木材が息をして、水分を調節し、囲炉裡の煤を纏い、人の脂で艶を増し、水拭きで磨かれていく。

丁寧に手をかければかけるほど、家も人間に添うような関係性だったみたいです。

たしかに古民家って結露とは無関係で、夏は特に涼しいです。冬は寒いけど。

 

あと、縁側。

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縁側って、長く材木を切って長く貼り付けてるのが多いかと思います。

宮城県南地域の縁側もそうだった気がします。

なぜこのような板張りなのか疑問だったのですが、外に向けて傾斜をつける事でホコリやゴミなどの悪いものが入らないようにすることと、外に箒で掃くだけで汚れが落ちるように。とのことでした。

あと縁側の曲がり角も、人や入るの字になるようにしたり、材木を末広がりにする事で扇型に組むようにしたりして家の繁栄を願うんだよ〜と聞いて、感銘を受けました。

実用的で縁起を担ぐ工夫ですよね…!

 

家と人、人と人、自然と人。

自然災害にあって見慣れた故郷が失われても海を恨めないのは、海に生かされてきたからだよなぁと改めて思いました。

漁に出ても天候と運次第。自然という神様に直で向き合う仕事。だから漁師の家の神棚は特に手が込んでたんだと思いました。

そして街は失われても残された海や山に感動してくれる人もいて、それがまた救いです。

どんだけ文明化した社会でも、人間は自然の中で生きてることを忘れちゃーいけませんね。

 

100年以上前の先祖が時間も金もかけて、気仙大工さんが立派な手の込んだ家を建ててくれて、100年以上一族で住んできた家が今は子孫の唯一の誇り。

ヴェルタースオリジナル

作った人の顔も名前も時代背景も知らなかったけど、本当にいい仕事をしてくれたなぁと思います。

あと住んできた先祖も手入れを怠らず、あの家を愛していたんだなぁと実感しました。

またあの家に住みたいけど叶わない。

けど立派な家を手間をかけて作ってもらって、長く長く子々孫々住めたら良いなぁ…。

歌手は歌うこと、画家は絵を見せること、医者は患者を治すことが仕事ですが、それ以上に相手を感動させるのが良い仕事だと思います。

 

家を建てる仕事、それ以上に時代を超え他人の人生に誇れるものを残してくれて…本当に感謝しきれないです。

私の仕事はどうだろう…。

いつか人を感動させるような仕事がしたいので、勉強しなければなりません。

 

あと、特に感動したのは、案内役の方々がこの気仙大工と故郷を本当に大切にしてることがひしひしと伝わったことでした。

各々が持つ故郷、そして昔からの伝統や慣習をよく知ること、伝えること。

日本全国フラフラ歩くだけでもよく感じるので、もっと知っていきたい!と思いました。

自分の家の成り立ちに関わることを、行って教えてもらって知れて良かった!と強く思いました。

ほかの気仙大工さんが手がけた建造物も見て回りたいなぁ。

あとやっぱり地元なんとかしたいなぁ。

 

とりあえず民俗学神道の本買いました。

宗教の本として聖☆おにいさんの新刊も書いました。

文化人類学とかも良いんですかね?わかりません。

足を運ぶことが大切ですかね(結論)