運転の話【宮城山形新潟富山石川福井京都兵庫岡山広島愛媛香川岡山兵庫京都滋賀岐阜三重愛知静岡山梨神奈川東京埼玉茨城栃木福島宮城】
年末年始は車中泊で長旅をしました。
↑だいたいの地図
四国へのアクセスと福島から宮城への帰り道以外、全て下道でまわるというものです。
今回の旅の目的はしまなみ海道を渡りたい!のほぼ一点のみ。
宮城から広島まで高速だと15時間、飛行機など併用すればもっと短い時間で行けるんですが。
下道だとしまなみ海道まで行くのに車中泊しながらで2日はかかりました😂
ちなみに車中泊しながらということで、車中泊マップアプリ使いながらほぼ毎日当日の夕方くらいに目的地を決めて行きました。
温泉とか入浴施設も出てくるので便利でした。
別に絶対に下道!とかいう熱い思いとかはそんなにないんだけど、ただ高速代めっちゃかかるし、休み持て余してたし、運転好きだし。
あと今回経験しとけばまた旅行する時に突然宿取ったりとかもないかなって!
↓長くなりますが備忘録
1日目 宮城県→山形県→新潟県→富山県射水市
夏にも通ったルートです。
宮城県七ヶ宿や山形の飯豊町あたりは雪ありましたが、新潟とか富山は全くありませんでした。
山形の長井市のあたりでなんかすごく疲れて、序盤も序盤ですがもう帰ろうかと思いました。笑
新潟の燕市のあたりで遠くに雪山が見えました。曇天ですがとても様になっていた。
氷見から山見えるかなーと思いましたが、日本海側は曇天&雨だったため、また春に来ようと思いました。
2日目 富山県射水市→石川県→福井県→京都府→兵庫県たつみ市
富山から石川への道路は前回とは違うところ通りましたが、勾配がきついですねー!
あとデカい道路をひたすら走ってました。国道8号?
ついでに東尋坊でも見るかな?と思ってましたが、いつのまにか通り過ぎてたので、道の駅的なところで休憩しました。
天気悪かったところに微妙に陽がさしてなんかすごい光景が。
福井も出っ張ってる形してるので、海越しに半島が見えるんでしょう。
晴れた夏の日は壮観だろうな〜
あと敦賀の手前の海岸道路走りたいな!しおかぜライン!
勾配とカーブがすごい方の道路は走りました。すごく楽しかった!親不知から富山県への道に少し似てた。
あと若狭道をずーっと行った記憶があります。そして、どこかで曲がり損なった。
そこから国道162号線で京都へと抜けるんですが、そこもまた結構な山道でした。楽しかった!
道間違えたおかげの思わぬ副産物。
美山って名前の通り、紅葉の時期は美しい山並みになることでしょう。
それと、山奥でも集落がポツポツあったのは意外でした。
あとはサブ目的である兵庫の摩耶山に行って夜景を見てきました。
神戸付近の住宅街(三田市)の道路はお洒落でやばい。下入ったり上でたり。宇宙船みたいな街だった…。
西日本で一番寒いらしい…
あと心なしか関西の人たちみんなメガネかけてる気がします。若くなると丸メガネ。
勉強熱心な人が多いんでしょう。
摩耶山もコンパクトでいい山道ですね!まさかあんなにキツイと思いませんでした。いつか全て走り尽くしたいです!
明石とか加古川の辺りはGoogleさんがひたすら住宅街の抜け道通そうとしてきて恐ろしかったので道路標識に従って走りました。
Googleさんは大阪を避ける癖に住宅街は避けない。
そこから国道2号で姫路ぬけて、たつみ市で宿泊。
兵庫は市内全域制限速度40kmが多い。
東北人からすると関西人って運転荒いイメージでしたが(なにわナンバー)、姫路はみんな安全速度。警察の取り締まりが厳しいのか?
というか関西圏の対向車はライト小さくしてくれることが多かったです。
トラック後ろについたりするとバックミラーに反射するのでたまに小さくしてくれる人いますよね。
ほんと気遣い凄い。かっこいい!
3日目 兵庫県たつみ市→岡山県→広島県→愛媛県→香川県高松市
翌朝、兵庫から赤穂通って、岡山へ。
この道路も海沿いで程よく山道の走りやすい道路で綺麗でした。
あと道の駅も楽しい。たくさん遊具がある道の駅があるぞ!岡山シーサイドライン!とても暖かい。
岡山市内のデカい道路はめっちゃ速度出してて怖かった。
そのあとは大きな川渡ったりのほほんと走りました。
福山がとても都会だった…。そして尾道へ。
夢にまで見たしまなみ海道。綺麗だった。というか途中の島に住んでる人が羨ましい。
あの山々は四国らしい(そこら辺にいた人の話を聞いた)
何往復かしたかったんですけど、亀老山に登ってから大人しく今治へ。
今治めっちゃあったかい。そして運転がみんなマイペース(笑)
四国の道路はあんまり飛ばせない気がします。
それにしても四国の山があんなに高いと思いませんでした。雪あるのぉ?!うそぉ?!
夕暮れ前に香川県について、夕焼けに染まる瀬戸内海を見たかったんですが真っ暗になりました😂
4日目 香川県高松市→岡山県→兵庫県→京都府舞鶴市
そして屋島へ。
高松が一望できるスポット。前日の夕暮れに来ておきたかったんですけどね。
亀老山みたいなもんかと思ってたらめっちゃデカかった。というか遠くから見た時の要塞感がカッコよかった。
香川から瀬戸大橋へ。瀬戸大橋もきもち〜ね。
岡山へ戻って、兵庫へ。
兵庫の内陸もかなり広いし山道多いですね。
そしてここからなぜか京都の舞鶴市へと行く。
宿泊予定の道の駅が舞鶴だったから。
でも頭痛すぎて普通に寝たいわってなってラブホに泊まりました。(?!)
そこそこ安いし風呂もベッドも広いし食べ物持ち込めるし疲れたらラブホに泊まろうと思う。
5日目 京都府舞鶴市→滋賀県→岐阜県→三重県→愛知県→静岡県→山梨県→神奈川県→東京都→埼玉県→茨城県→栃木県
舞鶴から滋賀への道はあんまり記憶にございませんが、滋賀は見通し良くて走りやすかった。琵琶湖の横も通った。
あとチャリンコ乗りがたくさん。
東海は内陸通ってたのですが、和歌山三重愛知あたりの海岸沿いも気になりますね。
名古屋ナンバーに怯えつつ、静岡へ。
静岡もなんか春みたいな天気で気持ちよかった。
日暮れ直前に愛知だけど伊良湖岬へ。
東海は南海トラフの時に危ない地域なので、何かあったら助けにいかなければならない(というか四国も瀬戸内も)
三河の人たちが震災後もなんだかんだと気にかけてくれてるので、いつか恩返ししなきゃなーと思ってます。
御前崎周辺で泊まってから明け方の御前崎灯台でも見るかと思ってたんですが…
疲れに疲れてジ・エンド。
宮城に帰るぞー!(午後20:00に予定変更)(翌日9:00着予定)(既に9時間運転)
やっぱり首都圏の道路ってヤバいんだろうか?!?!東北の田舎モンが走れるんだろうか?!と不安になった結果、富士宮市から御殿場市、富士山の近くや山中湖沿いを走って相模原市へ。
ここの山道が走り屋の常駐ルートだったみたいでクラッチ繋ぐの下手糞なスポーツカーみたいなやつに煽られましたが、1時間ほど先頭を走らせていただきました(待避スペースを尽く見逃しただけ。ごめん。)
箱根駅伝もやってたし。だれか先導してくれ。
ヘトヘトの状態で八王子からさいたまへ。そして茨城へ。
走ったこともない範囲の国道4号に乗りましたが、ここを真っ直ぐ行けばとりあえず仙台には帰れると思って茨城にて郷愁。
深夜2:00。アホみたいに飛ばす活きのいい運送トラックに道開けつつ夢の一つも見ちゃったりすんのよ。
そーなるともーあれだ熱めのコーヒーだ。意味深な蛇行だ。
手持ち無沙汰に寄ったコンビニから5時間睡眠しちゃったりすんの。
6日目 茨城県→栃木県→福島県→宮城県
みんな疲れてしまう。ついつい事故っちまう。
ということで茨城県のコンビニで仮眠取ろうと思ったらガッツリ後部座席で寝てしまって、浅黒い外国人が車の外でワーワー騒いでる声で目が覚めました。
外は快晴。このまま4号乗って宮城まで帰るかと思いましたが、福島の4号を思い出してまぁいいか…(失礼)と高速に乗り帰宅。
高速の追い越し車線を驚異的な遅さで走る群馬ナンバーを左から走行車線なのに抜きつつ(本当はダメですが追い越したら走行車線に戻るのがルール。煽り運転されてしまうよ)宮城に帰ってきました。
恐ろしい寒暖差と共に現実へと引き戻され、風邪もひいたのでした。
下道で行ったから、断片的ではあるけど、その地域のもっと見たい!がたくさん見つかった気がする。
・福島新潟を結ぶ道路
・富山氷見
・京都兵庫も山あい楽しそう。あと岡山広島の中国山地?らへん
・広島は尾道までだったのでその先も!ラーメン食べ忘れた
・四国といえば439ですよ!あったかくて天気良さそうだから住むとしたら住みたい県トップ5にランクインしている高知県!(あとは静岡和歌山岡山愛媛)
・三重の工場夜景
あと暗くなってから走ったところとか、また明るい時間帯に走ってみたいなぁ。
・静岡御前崎市(元々行くつもりだった)
・静岡富士宮市(川渡る時に富士山の麓の街の明かりをバックにちょうど東海道新幹線が走ってとても素敵だった)
・香川県(夕暮れ時に反対方向ばっか向いて走ってたので非常に悔しい)
今回の旅行で、車中泊でもそこそこ十分に生活できたという経験(軽自動車みたいなサイズの普通車)、マニュアル走行に対する自信がかなりついたことが大きな収穫かな!と!
本当は営業車みたいな軽自動車の方が居住性はいいと思う。エブリイみたいなやつ。
キャンプカーは取り回しがめんどくさすぎるしお高いんでございましょ?
ぶつかりそうになったわ。
なんだかんだ車の目張りとか防寒対策とか揃えるのも楽しかったなぁ。
今回は寝床にギンギラギンの防寒シートと折り畳みマットと寝袋とその他毛布。
窓に結露防止シート貼っただけで割と冷気は遮断できました。
暖冬だったおかげもあるかな!
今回は就寝に関しての装備を整えた程度だったけど、キャンプ用のコンロ買って車外でお湯沸かすくらいならやろうかな。
全国にアクセスの良い場所ってどこなんだろう?
宮城じゃ北すぎるので長野とか岐阜とか愛知かしら。
九州地方は未踏なので是非行きたいですし、西日本は都市が密集してて景色も多様で楽しかったです。
バイクとか車とか乗るの楽しいと思う。
山陰の海沿いとか中国地方や山陽の瀬戸内海、四国は険しい山、紀伊半島、長野も行きたい。
ドラレコ動画でやたら西日本見るのでちょっと怖いけど、そういう人ばかりでもないと思う。と思う。
隣の庭の芝生は青く見えるってのもあるかもしれませんが、体力と自由のあるうちに全国を周りたいなー!
とりあえず次は山口の角島大橋か四国の439かな!
転職しよっかなー!(割と本気)
未来の話【今こそ過去のアニメ映画「老人Z」を観る】
あんまり映画見ないんですが、ここ最近見た中で面白かったのが「老人Z」です。
この混沌っぷり!やはりいいですね〜
混沌としているようでスッキリまとまっているシナリオでした。
大友克洋・江口寿史がタッグを組んで1991年に映画化したアニメーション映画です。
題名の通り、老人の問題が主になるのですが、そこに人工知能・原子力など、現代にもつながるような要素をふんだんに盛り込んだ社会派映画。
これが1991年に映画化したってんだから驚きです。
2025年問題で沸いている昨今の医療福祉現場。
団塊の世代が後期高齢者(75歳)に達する2025年、医療現場や介護現場での人員不足や、社会保障制度の負担が懸念されています。
そのような問題は、およそ30年前から予見されていたのでしょう。
高度経済成長の面影を残しつつ、日本がどんどん変わっていった昭和末期の空気感、新しい平成という元号・機械技術の進歩への期待も感じられました。
まさに変遷・混沌の時代だったのでしょうか。
未来から見たら今も混沌としてると思われるかもしれませんね。
だからこそ起こりうる「if」ストーリーといった感じです。
※ネタバレ注意※
物語は、看護学校に通う晴子を中心に進みます。
晴子がボランティアで介護する高沢老人が、介護現場での人員不足や緊急事態に対処できる高性能の看護ベッド「Z-001号機」のモニターに選ばれてしまいます。
実はこの介護ベッド、学習能力に加え、新しい人格を作り出してしまう第六世代コンピューターを内蔵。しかも動力は原子力。
元々は軍事用に作るつもりのものを「介護ベッド」という一見「善良な」名目で開発した技術者・長谷川と、「福祉のために」それを推進した厚生省:寺田の悲しい食い違いによって、犠牲となっていく?高沢老人に同情せざるを得ません。
動力は?と聞かれ、核燃料です!と答え、安全性を懸念した質問にも、センサーが搭載されてるので安全です!という堂々とした返答。オオ〜!!と湧き上がる記者団。う〜ん(^_^;)
チューブだらけの高沢老人を見た晴子はショックを受けて必死に助けようとしますが、厚生省陣営に阻まれ断念。
しかし、コンピューターを介して高沢老人からSOSを受け取り、どうにかこうにか助けてあげようとする…。という展開です。
最初はやたら怨念じみた声で晴子の名前を呼ぶ高沢老人や病室に響く謎の声など、ホラーかと思いましたが、登場人物によってかなりコミカルになっていました。
戦争のような場面で「め〜し〜」「いま取り込み中ですからちょっと待っててくださいね」といった、ボケ老人と家族の間で繰り広げられるような、ある種「のほほん」な会話が繰り広げられたりと、シュールさもあり楽しく観れました。
意思を持ったかのように動いたり、色々なものを吸収して巨大化したりと、まるで「生物の模倣」のような機械。どんどんバケモノじみていきます。
AIが発展していく未来でもしかしたら起こりうるかもしれませんね!pepperくんが反逆するかもしれない!
でも大元は機械を作り出した人間、機械の人格の大元を生み出した人間、全て人間の手によるものなんですよね。
どんなに文明化した社会でも、便利でも、生物と機械の垣根は絶対にあるべきだと思います。
機械と細胞や神経が繋がれ、人間の意識を学習して人格を形成してしまう…。
倫理的・人道的な問題になると思います。これは天才外科医が怒るやつ。
晴子がチューブだらけの高沢老人にショックを受けていましたが、現代でも十分にある光景です。
最近では人道的にどうなんだ?と話題になったりしていますが…。
スパゲティ症候群と言い、生命維持のために機械で器官や生体機能をコントロールしています。
生きているのか?生かされているのか?
「人間らしく生きて欲しい」という晴子の願いも、ラストへ向かうにつれ強くなるような展開でした。
(現代の医療でああはなりませんけど…)
チューブに繋がれてまで生きることを否定しているわけではなく、本人の意思と乖離しているような状態が問題になっています。
とにかく長く生きて、世の中がどう変わるか出来るだけ知りたい!という人が望むのならば行われてもいい措置だと個人的には思います。
祖母がついこの間、手術のために一時そのような状態になっていましたが、身内だからかとてもショックでした。
祖母という「生きていて当たり前」だった人間が、少なからず機械の介助によって生きている。
祖母は、患者は、みんなは、自分は、どう生きて、どう死んでいきたいのだろう?
意思を伝えられるうちに自分の生き方を改めて考えようと思いました。
どう死ぬか?を考えたら生きることに一生懸命になれると聞きました。
「ピンピンコロリで迷惑かけずに死にたい」
そう願うのならば、自分で動ける時間がなるべく増えるように生きるべきだと思います。
「死ぬときに感謝されるような人生を送りたい」
そう願うのならば、いま生きているうちに感謝されるようなことをするべきだと思います。
医療者は、その手助けをするために存在しています。
医療も、人間の自然治癒力を助ける役目でしかないのです。
病気を治すのも勿論役目ですが、その人がその人らしく生きて死んでいけるよう、昨今では病気の予防に重点を置いていっています。
晴子の献身的な態勢は「自己犠牲」じみた側面もあります。
身を呈してでも他人を助ける精神は素晴らしいと思いますが、それでは医療が破綻してしまうので限度があります。
「助けたい」「生きて欲しい」といった一見「善の思考」が、当人にとっては「要らぬお世話」になりかねることもあるかもしれません。
スパゲティ症候群を忌避する患者や家族、医療者も勿論います。そうでない人も勿論います。
だから個々人で「自分の生き方・死に方」を明示する風潮が出てきました(リビングウィルと言います)
一番回避したいのは、本人も周りも死ぬときに「こんなはずじゃなかった」となることです。
しかし、この晴子の現実的ではないほどのひたむきさが、一番の魅力であると思います。
実際、高沢老人は晴子に助けを求めているわけですしね。
機械に繋がれた高沢老人が若い日の思い出を想起して「かぁちゃん(故人)と海を見たい」と願った場面で少し泣けてしまいました。
それまではよくある「ボケ老人」として描かれていたのですが、機械に繋がれてから老人の人生を描くのは憎いなぁと思いました。
そして、老人では手に入れられない身体能力を介護ベッドという名目で得た高沢老人が、その強い願いによって暴走していくのです。
最後に晴子が高沢老人の「海を見たい」という願いを叶えるため、「早く元気になって海を見に行こうね」と言ったところを、とても見習いたいと思いました。
高沢老人の願いを叶える方法には様々あると思いますが、どれがその人にとって一番の方法なのか?考えることが大切だと思います。
最初のほうで介護ベッド容認派から「やっぱ長く生きるもんじゃないね」「俺が老人なら若者の時間を奪っているようだ」というセリフがありました。
若者が言っていますが、老人の代弁の部分もあるのでしょうか。
長い人生の中の青春を想起する老人と、飲みに行ったり好きな子が居たり勢いで一夜の関係に走るような今まさに青春を謳歌する若者たち、対比として印象深かったです。
片思いの晴子のために奔走する若者は、海を見にいきたい老人の願いの強さに振り回され、泣かされたり逃げようとしたり…。
それぞれに一生懸命なのですが、思いの重みが明らかに違うのは、人生経験のなせる技なのでしょうか。
とは言え、高沢老人以外にも老人がたくさん出てきます。
高沢老人はかわいそうな(本当は虫唾が走るほど嫌いな言葉です)老人として描かれているのですが、必ずしもそんな人ばかりではないのです。
なぜか晴子の担当病棟にいる凄腕ハッカー爺集団の活躍により、高沢老人との交信や機械の暴徒化の鎮静を成し遂げるのです。
元気でお茶目で小憎らしく、物語に華を添え希望を与える重要な役割だと思いました。
そして彼らには楽しみがあり友人がいる。
老人といえど、あの時もまさに青春なのではないのでしょうか。
独居の高沢老人、病棟の老人集団。
年老いてより一層、人間関係というものが大切であることを知らしめる、二つの老人の過ごし方。
「老人」で括れば楽かもしれませんが、個々人はさまざまな経験を積み、さまざまな力を持って生きてきていることを忘れてはなりませんね。
そして最後の展開に笑ってしまった。
老人が作り出した、かぁちゃん(故人)の人格。
それはかぁちゃんの魂でもなんでもなく、高沢老人の中のかぁちゃん(故人)なのです。
かぁちゃん(故人)が「迎えに来る」と聞くと、人間では死生観や宗教観に重点を置くと思いますが、やはり機械は「迎えに来る(物理的)」なのです。
ここの目的(迎えに来る)に対する方法を心理面含めて考慮していけるのはやはり人間であり、人間の医療に人間は必要だなぁと思いました。
あくまでやはり機械なのだな、と改めて知らしめたところで物語は終了。
やっぱり江口寿史の描く女の子は色っぽくて可愛い!
観て良かったと思いました。
裏側の話【日本海を嫌というほど臨む】
今年の夏は山形から金沢まで日本海側をずーっと車でドライブしました。下道で。
数年前の夏に笹川流れを旅行したのですが、やっぱり夏は日本海側にも行きたくなります!
こんな経路です。
車がMTになったので割とキツかったですが、楽しかったです。
目的としては夏の日本海を楽しむ、氷見から山を見る、金沢をちょっと見るの豪華3本立てのつもりでした。
しかしお盆終盤の台風直撃と交錯する形になってしまい、所々心残りがありました。
1日目はとりあえず鶴岡から笹川流れで新潟へ。
天気が良くてとても気持ちよかったです!
特に山形から村上へ行く途中は海も透き通ってて圧巻でした!(運転してたので写真撮れてない)
角田浜過ぎたあたりの山々が、絶壁の難所って感じで、日本海の荒波と強風のせいか低木が多く、北海道感がありました。
↓北海道は礼文島の写真。こんな感じでした。
柏崎や糸魚川のあたりで夕方になってしまい…
なぜか日本海側に来るたび毎回夕陽が拝めない図
そして夜までになんとか富山まで行けました。
富山は広いですね…。
2日目は富山を少し見てから氷見へ。そして金沢観光。
図書館がかなりオシャレでした。
中ではガラス細工の展示や販売が行われていました。
新潟県糸魚川市の親不知などヒスイが取れるところがあるので、そういったものが多かったです。
街中も、綺麗で落ち着いているなぁという印象でした。
あと、東北地方民としては路面電車が珍しくてはしゃぎました!
便利ですねコレ。
仙台にも復活してくんないかなぁ?
富山駅です。
入ったところの装飾が綺麗でした。
外にも工芸品を展示してあります。
上品な展示の仕方だなぁと思いました。
上を削り取られたバスです。
乗ってみたかった…。
完全なる偏見かもしれませんが、男性が色白塩顔でカッコいいですね!
女性も色白で上品な顔立ちの方が多く感じました。
服装もシンプルで品が良く、街とよくマッチしているなぁと思いました。
太平洋側と日本海側、東西でやっぱり違うのかなぁ?と思いました。
風土や文化で一個人を見られるものではないとわかっているのですが、全体的にそのような印象でした。
もう少しいろんなところを見たかったのですが、氷見は台風のために見えそうもなく、金沢へ移動します。
金沢は千里浜ドライブウェイを一番の目的にしてきたのですが、台風のために立ち入れず…😭
金沢観光をすることにしました。
金沢駅です。
物々しい…が、美しい外観です。
中も楽しい。
川が流れていました。
日本っぽさがあり、おしゃんですね…!
夜の方がこの門みたいなやつは見栄えがしますね。
すごいなぁ…。
歩いて東茶屋町へ
行く途中、大通りはデカイのですが、裏通りはかなり狭いです。
そして独特の雰囲気があり、見ていて飽きませんでした。
小料理屋や喫茶店?のようなお店の佇まいも絵になる、調和のとれた街だと思いました。
途中で土地を買収したと思しき二匹の猫を見かけました。
東茶屋町では迷子になりました。
街並みが良いですね。
迷子になりますよね。
かなり狭い裏道にも車がスイスイ入っていったのでめちゃくちゃスゴイ!と思いました。
川を見つけたのでそこをポイントとして兼六園へ行くことに。
やたらかっこいい橋がありました。
兼六園は普段夜までやっていない?ようなのですが、この日は運良くライトアップされて遅くまで開いていたので行けました。幸運!
かなり広大な土地でした。
普段の姿がよくわからないので、次は昼間に来れたら良いなぁ…。
あと夜に駅に戻ったら変なのを見かけました。
なんだこいつ…?!
金沢は観光の方が多かったようですが、街も大きく綺麗で、もっと見たい!と思いました。
石川県内も富山県内も面白そうなところ多かったのでとてもとても心残り!
今回は突発的に富山と金沢の街の観光をしたので、次来るときはもっと下調べをして丁寧に観光したいです…😭
3日目は目的の千里浜ドライブウェイのあたりを通り、氷見へ。そして時々高速に乗りながら宮城へ帰ってきました。
今回の目的の千里浜ドライブウェイ!
金沢市から羽咋市へ行くのと里山海道という高速道路が一番テンション上がりました。
こんな経路!少し高い道路から日本海がバー!っと見えます。
しかも前日に台風が通過したので、波が折り重なるように延々と浜辺に打ち寄せていました。
これが上から見える感じでした。
肝心の千里浜ドライブウェイは波浪のため走行不可だったのが惜しい!
でもいいんです…。また来る口実ができたので!
遠くに見える道路標識が悲しい…
そして何気に積年の夢であった「氷見の海越しの立山連邦」も見えるかなー?どうかなー?と思いながら能登半島を横切って富山県の氷見へ戻ります。
やはり台風の雲が多いからか見えませんでしたね〜。
寄れるなら寄ってみようというテンションだったのであまり落胆はしなかったです。
あと、真夏よりも空気の澄んでいる時期に来ればもっと見えるかな?
春先だと残雪があるでしょうし、また春にリベンジです!
そして、海の色がやはり三陸とは違っていて、山形や新潟とも少し違う。
これだけでも来た価値あるよなぁと満足して帰りました!
ドライブしててもずっと綺麗な海が見えて楽しかったです。
漁火ロードから漁火を見てみたいですね。
帰りは高速に乗りましたが、糸魚川市あたりの親不知からは下道を行きました。
台風の影響もあってか、砂が巻き上がったのか海がすごい色になっていました。
砂地?がグレーに近い白だからか?変わった色をしてました。
岩壁や砂、深さや時間帯で海の色が様々に変わるのは見ていて飽きません。
時々道路が高いところを通るので、停めて眺めたいところがたくさんありました。
うっかり新潟から山形へ抜ける時に前から通りたいと思っていた山道を走ってしまいました(照れ)
磐梯の裏を通るので、遠くに山々が見え、道路もグニャった道を行くので楽しかったです!
ここはまた明るい時間に来られたら良いなぁ〜
新潟市から会津若松市や喜多方市に抜ける道路もいつか通りたいですね。
夏はこんな感じでした。
MTにも結構慣れたので山道にもトライしたいです。
ドライブたのし。
最近の話【音楽について】
こんにちは。
長らく書いてないけどここ最近聴いている音楽についてまとめようと思う。
なんと面白くないタイトルか。でも思いつかなかったからいいか。
シティポップからの流れでヴェイパーウェイブとやらにハマった。
見ている動画がジャンル分けできるものなのか自分では判断がつかないが、おそらくそんな感じのやつ。
YUNG BAE - 私は愛に ハイです (Extended) - YouTube
エキサイト翻訳感漂うタイトルで笑う。
John Legend - Love Won't Let Me Wait - YouTube
原曲も良かったです。
マクロスMACROSS 82-99 -『82 99 F.M』 - YouTube
おそらくいろんな曲繋いだもの。
フューチャーファンク含めマクロスMACROSS 82-99という方の曲結構聴いてます。
AKIRA好きなんですね。あの古くて新しい雑多感を曲にも昇華してる感じ。
Kaoru Akimoto -dress Down (Original!) - YouTube
その中の一曲。
The Future Funk Experience (I'm so sorry) - YouTube
そしてこんな使い方されてて草。
deadman 死人 - Omae Wa Mou (Tiny Little Adiantum Remix/Lil Boom - Already Dead Instrumental) - YouTube
東方(ゲーム)関係の歌モノを編集したもの。
なぜケンシロウと合わせようと思ったのか…?
でもスネア(?)のチキチキ感が合わさってうまくまとまってる。
【東方ボーカル】 「タイニーリトル・アジアンタム」 【ShibayanRecords】 【Subbed】 - YouTube
原曲はいい感じに切ない。
アニメ声の歌とかあんまり好きじゃない方なんですが、こういう風にbossa nova調に合わせるとものすごく合いますね。
素朴で切なくなる。
これも似た系統ですが歌詞もサウンドもお洒落です。
Kyoto. (Now on Spotify) by Aso | Free Listening on SoundCloud
SoundCloudのこの曲から見つけてきました。
Tajima Hal - Grape Choice - YouTube
ものすごい中毒性。
SoundCloudで見つけた人の曲。
Hands feat. Veronica Maggio & Aegiz - Language - YouTube
歌モノと合わせるとまた違う。
この名フレーズ、元曲はミルト・ジャクソンの曲。
Milt Jackson And The Monty Alexander Trio - 3,000 Miles Ago - YouTube
tajima halさんの曲は良い。
そしてSoundCloudで見つけた曲
Mellow. by saib. | Saib | Free Listening on SoundCloud
作者から探すと延々と聞けてしまう。
YouTubeも関連動画にどんどん飛んでしまう。
作者たちも音源をディグってる(古い音源から掘り当てる)でしょうけど、聞く方もまたディグって行ってるのがまたなんとも不思議。
Top Secrets Pizzicato Five - YouTube
ライブ映像が最高にキザで初々しい。
トップ・シークレット/ピチカートV(田島貴男) - YouTube
やっぱりビブラフォンが好きなんだと思う。
仕事の話【気仙大工から学ぶ】
晴天の中、岩手県陸前高田市の気仙大工伝承館へ行ってまいりました。
個人的にですが、行って良かった!と強く思いました。
気仙大工左官伝承館
〒029-2207 岩手県陸前高田市小友町茗荷1−237
0192-56-2911
https://goo.gl/maps/Kze1ETXDYJNywo9i7
なぜ、ここに行こうとしたのか?という話から。
地元町内の友達の実家が新しく建ったんですけど、立派な家で、特に神棚は大きく荘厳。
友達の両親にお話を聞くところによると「三陸地方は昔から、気仙大工という腕のいい大工がいて、特に沿岸地域では神棚が立派という伝統があり、残すべく作った」そうで。
この友達の両親もすごいなぁ…すごいんです。
津波で流れたけれど、私の実家の神棚は一族の(ほぼ)唯一の誇りだったと思う。
親に聞くと「うちも家から神棚から全部気仙大工だったよぉ〜」とのこと。
↑辛うじて親戚が写真におさめていた実家の神棚
今はこれしかないんだよね。宝物です。
当時はウチめっちゃ古いよ〜なんて言ってましたけど、絵画教室で年末の神棚掃除を書いたり、自己紹介で取り上げたり、とにかく子ども心に自慢でなりませんでした。
震災当時は心配するにしても、「家族はまぁ大丈夫だろう!それよりもあの家…」って感じでした。
みんな無事だった今だからこそ軽く言えるけど、私って薄情だなぁ…。
向かって左側の壁に一つ、あと左手前側に離れてもう一つ神棚がありました。
囲炉裡があって、立派な梁があって、欄間などの細工も経年劣化はあれど、昔の人がよく作ったなぁ〜と思うような精密さ。
宮大工のように、釘などを使わず、組み木細工のように組み立てた家だったそう。
木材も樹齢100年は超えているものを使って作ったそう。
明治維新直後に建ったそうですが、度々襲い来る地震や宮城県沖地震も耐えてきたって今思うと本当にすごい。津波には勝てなかったけどね。
なぜ?神棚がやたら立派だったのか?なぜ?気仙大工がそんなに技術が高かったのか?を知りたかったので行きました。
広田半島へ入り、箱根山の急勾配の細い道をゆっくりゆっくり登っていくと伝承館があります。
広田半島も、箱根山も、遠くに切り立つ山々と青い海が見えて綺麗な所でした。
あと、4年くらい前にドライブしてて迷った所らへんな気がする…丘陵地帯で眺めが良かったのでよく覚えてます。
気仙沼を超えて唐桑半島以北は山が高くなりますね。とても好きな景色です。
近くに軽食の取れる所があり、お蕎麦が美味しいそうです。
地元の方が案内役をしてくださいました。
とても丁寧に、親しみやすく、気仙大工の成り立ちや技術的な話に加え、家がいかに日本人の宗教観や精神性に影響を与えてきたのか教えてくださいました。
山の上に立てた理由も格というものを重きに置いたわけで、気仙大工の建造物へ対する誇りや尊敬の念がよく感じられました。
伝承館内にいたお客さんたちも気さくな方が多く、様々な話を聞かせてくださいました。
復興を気にかけてくれてる人、綺麗だから来た人…きっかけは様々ですが、やっぱり好きな土地ですので楽しんで癒されて帰ってもらえたら良いなぁと思いました。
あと伝承館の中は居心地が良かったです。住みたい。
遠く関東や関西からいらっしゃった方々もいて、私は陸前高田市の人じゃないけれど、三陸地方来てくれてありがとう!と思いました。
自分のことのように嬉しかったです。
宮大工や船大工としても活躍した気仙大工。
気仙地域よりも南の地域に出稼ぎに行っていた大工集団。
遠く関西地域まで、その手にかけた建造物があるそう。
大工の中でも特になんでも作れたそうです。
そこで頭を使って、工夫したんだなぁ。
専門に作っている人が居ない地域では、それに勝る良い技術を持っていることを示さなければ、仕事ができないと見なされるので、とても厳しい世界だよなぁ。
使えば使うほど、その人の生活に馴染む。
ニスなど塗らずに木材が息をして、水分を調節し、囲炉裡の煤を纏い、人の脂で艶を増し、水拭きで磨かれていく。
丁寧に手をかければかけるほど、家も人間に添うような関係性だったみたいです。
たしかに古民家って結露とは無関係で、夏は特に涼しいです。冬は寒いけど。
あと、縁側。
縁側って、長く材木を切って長く貼り付けてるのが多いかと思います。
宮城県南地域の縁側もそうだった気がします。
なぜこのような板張りなのか疑問だったのですが、外に向けて傾斜をつける事でホコリやゴミなどの悪いものが入らないようにすることと、外に箒で掃くだけで汚れが落ちるように。とのことでした。
あと縁側の曲がり角も、人や入るの字になるようにしたり、材木を末広がりにする事で扇型に組むようにしたりして家の繁栄を願うんだよ〜と聞いて、感銘を受けました。
実用的で縁起を担ぐ工夫ですよね…!
家と人、人と人、自然と人。
自然災害にあって見慣れた故郷が失われても海を恨めないのは、海に生かされてきたからだよなぁと改めて思いました。
漁に出ても天候と運次第。自然という神様に直で向き合う仕事。だから漁師の家の神棚は特に手が込んでたんだと思いました。
そして街は失われても残された海や山に感動してくれる人もいて、それがまた救いです。
どんだけ文明化した社会でも、人間は自然の中で生きてることを忘れちゃーいけませんね。
100年以上前の先祖が時間も金もかけて、気仙大工さんが立派な手の込んだ家を建ててくれて、100年以上一族で住んできた家が今は子孫の唯一の誇り。
作った人の顔も名前も時代背景も知らなかったけど、本当にいい仕事をしてくれたなぁと思います。
あと住んできた先祖も手入れを怠らず、あの家を愛していたんだなぁと実感しました。
またあの家に住みたいけど叶わない。
けど立派な家を手間をかけて作ってもらって、長く長く子々孫々住めたら良いなぁ…。
歌手は歌うこと、画家は絵を見せること、医者は患者を治すことが仕事ですが、それ以上に相手を感動させるのが良い仕事だと思います。
家を建てる仕事、それ以上に時代を超え他人の人生に誇れるものを残してくれて…本当に感謝しきれないです。
私の仕事はどうだろう…。
いつか人を感動させるような仕事がしたいので、勉強しなければなりません。
あと、特に感動したのは、案内役の方々がこの気仙大工と故郷を本当に大切にしてることがひしひしと伝わったことでした。
各々が持つ故郷、そして昔からの伝統や慣習をよく知ること、伝えること。
日本全国フラフラ歩くだけでもよく感じるので、もっと知っていきたい!と思いました。
自分の家の成り立ちに関わることを、行って教えてもらって知れて良かった!と強く思いました。
ほかの気仙大工さんが手がけた建造物も見て回りたいなぁ。
あとやっぱり地元なんとかしたいなぁ。
宗教の本として聖☆おにいさんの新刊も書いました。
文化人類学とかも良いんですかね?わかりません。
足を運ぶことが大切ですかね(結論)
春先の話【春を夢見て上品山】
すっかり忘れてたけど2018年春先に上品山リベンジしたので書いておこう。
もう2018年も終わるのかぁ。早いなぁ。
こないだまで赤ちゃんだったのにいつのまにこんなにおっきくなったんだろう。
しかし最近は寒いのですが、動くと汗かきますね。微妙な感じです。
宮城の真ん中から海側の平野は東北のくせに雪なんて年に2、3回積もるくらいです。
それよりも空っ風が厳しいので今から乾燥対策に力を入れなければ…!
ずっと5月か10月なら良いのにね。
前回の上品山はこちら
雪の溶けた東北の春のころ。
平野では「あぁ雪?何回か積もってたけどてっきり見ないしもう降んないでしょ(スタッドレス履き替えー)」みたいな雰囲気の頃。
山頂にはまだ雪が残ってました。
天気のいい日だったので、春の陽光が木の枝の溶けかけの雫に反射して、天然のイルミネーションになってました。
写真じゃ全く伝わらないのが悔しいのですが、風に揺られると道の両脇の木が一斉にカラフルに光を乱反射して、とても感動しました。
葉っぱがないおかげで「裸にジュエリー」の叶姉妹っぽい(どういう表現だ)
晴れ渡っていて遠くまで見渡せました。
冬は空気が澄んでいますね。夜空も綺麗だろうな。
うーん…
写真の技術うううう!!!
動画もあるのですが、載せ方わかんないし、なにより輝き方が肉眼には到底及ばない…
両側にこんな木が立ち並んでいて一斉にキラキラって…素朴ながら圧巻でした。
暦よりも自然から季節を感じられることに喜びを感じました。
これだから山とか海とか好きなんだよな〜歳をとったのかな。
安住アナのラジオで「人間は人生の中で数十年周期で興味の対象が変わっていく」という話をされていました。
動物→植物→鉱物。
たしか40年周期だっけかな…
風で揺れる(動)木に興味を示したのでまだ動物に興味があるってことで良いですかね…
ちなみに実家からのおつかいでキチジ三匹と山を登りました。
こわー死んだ魚みたいな目で見るなよな。
食べられる前に見たことない景色見られてよかったな。キチジーズ。
美味しかったです。
こいつらは動物ではあるがもう静物。
食材として以外の興味はない。
暖かいコタツで雪景色眺めるのも良いですけど、車が運転したいんじゃあ…。
春を夢見て…!養生しましょう。